安楽死

 つまり、カナダで安楽死が合法化されたところ、一年で2000人近くがみずからの意思で命を絶っていて、キリスト教会はそれらの人びとの葬儀を行わないと言っているという話を聞き、選択の自由があってすばらしいと思うか、世も末だと思うか、他人のやることなので特になんとも思わないかに分かれるところで、私は特になんとも思えないほうであったが、自死に関するニュースを聞いていつも思い出すのは、いつか観た老人の孤独死についてのドキュメンタリ番組のことで、家族もなく、お金もなく、病気で、住むところもなくなり、ケア施設に一時保護されて、呼吸器だったか胃ろうだったか、機械のチューブにつながれていないと生きていられないような、人生のエピローグとしてこれ以下のものがあるだろうかと思わされる老人が、医師に今後の医療処置について聞かれている。次に意識不明の状態になったら、どうされますか?呼吸器を外すことに同意されますか?それとも、延命治療を望まれますか?戦前生まれらしい老人は、しわがれ震える声を絞り出して「命あるかぎり、延命で」と答える。

 目的も楽しみもない人生は無意味だというのが今の一般の認識で、だからそういうものが持てなくなった人の安楽死は認められるべきという流れがあり、しかし、と老人の言葉がいつも頭のなかにある。このやって来る毎日、それ以外のものが人生に存在するだろうか。

2017/10/17

デイル

 デイルは空港に現れなかった。それはデイルが、他人のようになってしまった自分の娘を見て、ベランジェールとフランシスのことを想ったからだ。フランシスがパリへ戻り、ベランジェールのそばにいてくれることをデイルは望んだ。フランシスの献身的な思いやりに対して、彼は最後に自らの別れという形で友情を示したのだった。

 

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シャフ

 アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シャフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」

 

 有名なAmazonのレビューに、登場人物のひとりである「アカ」のせりふが引用されている。あまりに気取りきっていて滑稽だとレビュアは批判している。その通りとも思うし、しかしまた小説の登場人物、それも村上春樹作品の登場人物ならそれほどおかしくはないという気もする。私はハルキストではないけれど、このせりふは好きだ。頭の先からつま先までしっかり気取っていて、ひとつのスタイルとしてキマっているという感じを受ける。村上作品そのものにそもそもそういう印象があり、全編の完全なキマり具合に酩酊するのがここでの作法であり、楽しみであり、人気の秘密のひとつであろうと想像した。レビューを読んで一年以上も経ってから、私は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。彼の作品を読むのは本当のところこれが初めてだった。

 シャフ。

 たぶんシェフのことだとわかる。これも気取った言葉づかいのうちだろうか。ラジオをレディオと言うようなものだろうか。初めて聞いたが、アカという気取ったキャラクタに使わせる気取った単語のひとつとしてはふさわしいように私には思えた。

 

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 シェフ、とアカは言った。「シェフと同じだ。肝心なところは……」私は読みながら、拍子抜けというか、肩透かしというか、とにかくなにかとても物足りなかった。あの全身くまなく気取っている村上作品の登場人物が、ただシェフのことをシェフと言っている。それだけのことが、私にはいささかショックでさえあった。『シャフ』はAmazonレビュアの誤字だったのだ。シャフ、とはこの世に存在しない語句であった。私は長いあいだ存在しない言葉の音感に惹かれ、作品のイメージを重ね、作者の作風をこの一語から感じていたのであった。

 

 アカは笑った。「嘘偽りはない。ありのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。

 

 シャフは未だに私の頭の中から出ていかずにいる。

 

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)