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おれが見たものはなんだったのか


サイリウムに触ったのは初めてだった。プラスチック容器の中の芯をポキっと折ると、サッと光り出す。もっと時間が掛かるものだと思っていた。その変化は鮮やかで、それでいて光は淡く、美しかった。21世紀のアイテムだと感じた。


でも、そうやってせっかく用意したサイリウムを私はほとんど振らなかった。席は狭いし、ステージを見ることに集中したかったからというのもあるけど、何よりも「光る棒を振る」というのは実際にやってみるとなんだかまるで幼児をあやすかのようで、出演者をバカにしているように思えて途中でやめてしまった。でも出演者にとっては、サイリウムの光の波がうねる光景がなによりの応援になるものだということはアニメでもよく描き表されていたし、実際そのようだった。ステージそのものではなく、会場の一体感を楽しんでいるようだった。会場の全員が知っている曲を歌い、しきりに観客に合いの手を呼びかけ、観客も一体となってそれに応えていた。受け答えは完全に取り決められていた。誰がいつ決めたのか、皆いつどこで練習したのか(L4Uで?)。まるで双方とも必死に『演者と客』ではなく、一つの『アイマス民』になろうとしているかのようだ。皆が振り回すサイリウムはとても明るくて、目が覚めるように眩しい。私は手元の「淡い光」をあらためて見直す。それはいかにも貧弱で、頼りない印象のものになっていた。


みんな共通体験に飢えているのだと思う。昔は……多分20年くらい前までは、人々の間には自然と共通体験があった。みんな同じテレビ番組を見て、同じ音楽を聴き、同じ年頃で似たような苦労を体験してきた。共通体験こそ、人と人同士で生まれる一体感の源だ。サッカーのワールドカップがあれほど盛り上がるのは、日本代表が強くなったからだけじゃない。今や貴重な、同じ試合の、同じチームを応援するという共通体験のための格好の題材だからだ。アイマスファンがアイマスのライブに第一に求めるのも、アイマスのライブに「参加」するという共通体験なんだろうと感じた。ライブの雰囲気を再現したがるアイマスMADが多い理由もわかる気がする。


……アイマスのライブ?あれは一体、アイマスのライブだったのか?確かに曲はアイドルマスターのものだったけれども、では私はステージを見ながら、ゲームの映像を重ね合わせたりしていただろうか。いや、思い返すとそんなことは一瞬もなかった。『約束』を聴いている間も、千早という名前は一度も浮かんで来なかった。目の前で歌っていたのは、確か今井さんという人であり、千早の声をあてている人だということはもちろん知っていたけれど、「千早が歌っている」とは感じなかった。歌っていたのは今井さんであり……本当にあの人が千早だったのか?同じ声だったっけ?同じといわれれば同じだったし、違うと言われれば違ったようにも感じる。同じことは、他の出演者の皆にも言えることだった。
一体、おれが見たものはなんだったのか。『アイマス』を生で見ようと思って横浜まで行ったはずだけど、私は一体なにを見てきたのだろう。


全体的に、特別上手いとは思わなかった。巷で言われるほど美人だとも。やはり無意識のうちにゲームと比べていたのだろうか。でも、そんなのは当たり前だ。今日のようなイベントは、どう言ったって、あの人達にとっての本業ではないのだし……そもそもゲームなんかと比べるのは間違いだ。ゲームの中のアイドルは、言ってみれば実際の人間には辿りつけない美のイデアを求めて創り出されたのであって、もしもゲームのキャラより美しいなんてことがあったらそれはもう人間ではないのだ。


しかし、そこで私は思い出した。ステージが開幕して、声優の皆さんが登場し、その衣装を見た時、私はなんと思ったんだった?「わあ、アイマスみたい」と思ったんだった。ライブのために新しく作った衣装なんだと言っていて、よく出来ていた。
ステージ上の彼女たちを、なんと見るべきなのか分からなかった。あれは伊織というツンデレ少女なのか?釘宮さんという声優さんなのか?皆は「くぎゅうぅぅぅぅ」と呼んでいた。思えば、他の誰も、役の名前で呼ばれることはなかったような気がする。「伊織ー」という声は、少なくとも私には聞こえなかった。ではあれは釘宮さんなのか。アイマスの衣装を着て、アイマスの歌を歌っていたけれど、話し方は伊織とは全然違って、穏やかで、控えめだった。他の皆も、役ではなく、自分としてステージに立っているようだった。一人、ゲームのキャラクタと容姿も話し方も良く似せて歌う律っちゃん、じゃない、若林さんという人だ、あの人だけ、むしろ浮いているように見えた。


ステージ上の彼女たちは、人間ではなかった。彼女たちは夢のなかに生きていた。まるで別の形のアイドルマスターを見ているかのようだった。あの人達は、ゲームのキャラクタとして生まれたイデアに追いすがろうと戦う生き方を選んだ人たちなのだ。普通じゃない。でも考えてみれば当たり前だ。普通の人間がアイドルなんかになるわけがないのだ。落合さんは、そういう意味で普通の人間だったのかもしれない。
坂上Pは、「10年でも20年でも続けたい」と言っていた。言った本人からして、やる気はともかくその現実性については半信半疑のようだった。人はキャラクタとは違う。どうあっても時間を重ねて変わっていく。滝田さんは、お子さんが生まれたばかりなんじゃなかったか?日高舞は引退したというのに、ゲームの上を行っている。その迫力で、ここまで来たのだろうと思う。


ライブの終盤、みんなは『いっしょ』だと、しつこいほどに繰り返していた。みんないっしょ、ずっと一緒、これからもずっと、一緒に頂点をめざして。そんなことはできないのだ。分かりきったことだ。今、この瞬間にいっしょなのは良い。それはすばらしいことだ。でも、「これからも」なんて、ましてや「ずっと」だなんて……いつかは霧散してしまうような、聞くだけむなしい言葉だ。頂点なんてどこにも見えない。いつかはみんな、今日の言葉は忘れたふりをして、どこか別々の道へと進んでいくのだ。現に落合さんはそうしたし、徳丸さんは我々を残して亡くなられたし、かりふらPはアイマスMAD用のニコニコ動画アカウントを消去した。
それでも、『みんな』は大歓声でそれに応えた。本当に心から、このライブのテーマを分かち合っているようだった。10年後、みんなどうしているつもりなんだろう。今日と同じくサイリウムを振り回しに来るつもりなのか。そしてステージ上の彼女たちは……。夢のなかでは、時間の感覚は希薄だ。7:65は夢の時間とはよく言ったものだ。夢の時間を貰いたくて、皆ここへ集まるのか。


これからどうなるんだろう。とりあえずこの先1年は、大きな事にはならないだろう。でもその先は?10年後は?もしも20年後まで続いていたら、それはかえって気味が悪いように思う。ガンダムじゃあるまいし。皆変わっていく。変わらないのはゲームの中のアイドルだけだ。でも一方で、ありえない事なんて何もないのだという思いもある。アイマスは新たにシンデレラガールズという機関銃を生み出した。アイマスという名前は続いていくかもしれない。それに、今のまま変わらないという可能性も、無くはないのかもしれない。なにしろアイドルは人間ではないのだから。それを私は今日知った。


サイリウムはいまだに光り続けている。会場では弱々しく、まるでぱっとしなかったけれど、こうして見ると淡い光がはかなげで、やはり美しかった。まるでアイマスみたいだ、と思いました。






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6月24日に横浜アリーナで開催された、アイドルマスター7周年記念ライブ『THE IDOLM@STER 7th Anniversary 765Pro Allstars みんなといっしょに!』を見に行った感想ですって最初に書くの忘れちゃった。