『風立ちぬ』


黒川さんという、二郎の上司の人がとてもよかった。「なんだ二郎、おまえ日本が近代国家だと思ってたのか!ワハハハハ!」のところとかとても好きだった。
二郎の同期の人は何かというと「日本は遅れている」と言っていて、そのことにとても焦りを感じている人物だ。私は、日本が遅れていた頃というのをまったく知らない世代で、私が生まれた時、すでに日本は何をとっても世界一かその次なのが当たり前だったから、世界から遅れているというのがどういう感覚なのかは分からない。
飛行機がオイルをぼたぼた漏らしながら飛んでいるところもよかった。あれはあれで、故障とは違うのだということにとても惹かれる。私はオートバイを持っているけど、整備も何もしなくたってオイルなんか漏れたことがないし、ガソリンさえ入っていればいくらでも快適に走るし、それを特別すごいとも思わない。乗り物はそれが当たり前だという感覚がある。贅沢な感覚だ。
だから、二郎の飛行機のような手作りの機械というものをとても格好良く感じた。機械は、本来は人間が手で作ったものなのだという当たり前のことを思わされた。


「あまりにも若すぎたと ただ思うだけ だけど幸せ」とユーミンが歌っている。人生の長さは問題じゃない。長寿と健康だけが人間の価値、幸福ではない。もちろん、健康で長生きであるべきだ。だけど、そのために他のものをみな否定するのが正しいのか。菜穂子さんは二郎との時間のために一人で東京に行った。身体のためには良くないことだったかもしれない。二郎はといえば、作中たばこをこれでもかと吸いまくる。だれが何と言おうと、たばこを吸う男の姿は絵になる。私はこの映画を見てたばこを吸いたいと思った。こんなことを言うと、ジブリは喫煙を推奨しているといって抗議が殺到するんだろうか。
菜穂子さんの寝ているそばで、たばこを吸うシーンがとても好きだ。二郎はだらしのない男だ。菜穂子さんのことを思えば、吸うべきではないのだ。でも、手をつないだ菜穂子さんに「どうぞ吸ってください」と言われてしまっては、もう吸うしかない。二郎は、たばこを引っ込めるより、手を離して部屋を出るより、菜穂子さんの言葉に甘えることを選んだ。ふたりの愛情のかたちが表れた名シーンだったと思う。


中盤に現れるドイツ人もとてもよかった。朗らかな雰囲気を持ちながら、ナチスを野蛮人の集まりといい、戦争を予感して「日本は破裂する、ドイツも破裂する」と、不気味で印象深いことを言う人物だった。
彼にかぎらず、あの保養地というか、二郎の休暇のシーンは全部好きだった。静かで美しく、礼節があり、国際的な場所。この映画の、機械以外のすべての魅力的な部分が詰まっていたように感じる。食事シーンも(葉っぱだけど)あったし。
思うに、今作が今までの宮崎アニメと違うと感じるのは、印象的なな食事シーンがないからというのが一番大きな理由のような気がする。作中で二郎が食べるのはせいぜい焼きサバと、シベリアとかいうお菓子だけだ。私は最近のでいえば、ハウルのベーコンと目玉焼きの朝食シーンがすごく好きなんだけど、ああいう豪快な食事シーンというのは、宮崎アニメにおいてはリアリティではなくファンタジーに分けられる要素の一つなのかなという気がする。大口開けてガツガツとめしをかき込み食うというのは、実際のところ空を飛ぶのと同じくらいに誰もが持つ人類の夢なのだ。


風立ちぬ』には、あまりはっきりとしたストーリーというようなものがない。実在の人物をモデルにしているからということもあるかもしれない。人の人生には起承転結などないものだ。ただ生まれ、何十年か生きて、死んでいく。波乱万丈に生きる人もいるし、凪のように穏やかに生きる人もいる。どれが正しい生きかたというのでもない。風の谷のナウシカの漫画版で、ナウシカは「生まれ 響きあい 消えていく」のが生命だと言っていたのを思い出す。生命というものをとても簡潔に言い表したすごい言葉だ。『風立ちぬ』は、この言葉をそのまま映像にしたような映画だった。
とてもよい映画だった。