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ほかの人には、わからない

アイマス


どこへいったのかしら、と私たち。

はねもP


実際のところ、なにひとつ分からなかった。
あの子はなんなんだろう。森久保の心の分身のたぐいのようでもあったし、実際の人物のようでもあった。森久保にあって、あの子にないものとはなんだったんだろう。そして、最後のところで起こったことはいったいなんだったのか。2度見たけど、ひとつも理解できなかった。
しかし、この動画に関して私は「私がバカで読解力がないせいで……」なんて書くのも飽き飽きのつまらない言い訳はしないぜ。


この動画は、たぶん初めから、観た人に内容を理解させる気なんかないのだ。理解というか、これ自体、何かテーマや、物語をあらわしている動画ではないのではないかという気がする。言ってみれば、作者の頭のなかに浮かぶ、不思議なイメージや、言葉にしづらい概念を、絵で描き表して、それをつなぎあわせて、ひとつのお話のように見せてくれているような印象を受ける。作者の、はねもPの動画にはいつもそういう雰囲気がある。あそこで森久保に何が起こったのか、実際のところはねもP本人もよく分かっていないのではないかという気がする。頭のなかのイメージというのはたいていでたらめで、理路整然としていることなんてないものだ。
はねもPの動画は、一見とても整然としていて、会話もはきはきと淀みなく進むから、きっと内容も、読解力のない自分にはよくわからないけど、何かビシっとしたものがあるに違いないから誰かブログ解説あくしろよって、つい思わされてしまうんだけれど……
私は違うと思うね。


だから、この動画を観るにあたっては、作者の意図を理解しようなどとするのは間違いだ。底なしの泥沼にはまってしまう。私たちはただ、ダリの絵を見るがごとく、はねもPの頭のなかにある不思議な感覚の世界を楽しめばよいのだ。あるいは、独自に動画の解釈を付けるのも、面白いだろう。実際のところ作品というものは、一旦公開されれば作者の本意などは無意味なものとなり、作品を観た有象無象どもが好き勝手に解釈を付けて「解説」されるものだ。それがひとつの楽しみかたであり、実際のところ、たいていは作者もそれを楽しみにしている。「正しい解釈」など、どこにもないのである。
だいたい、解釈なんかしなくたって、この動画は綺麗だし、面白いので、あまり気負わずに観ればいいと思う。はねもPの動画はいつもそう。とても知的だけど、知性は飾りにすぎないのだ。



と言っておけばんなこたねえと憤慨したはねもPがブロマガか何かで長文解説でもしてくれるんじゃないかと云々……