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貴富

日記

  先日、花見でもと思い立って浅草へ行ったとき、駅前で寄付を集める女性に声をかけられた。ちょうど交差点があり、人がみんな立ち止まるから都合のよさそうな場所だった。

 なんの募金なのかと聞けば、先の震災の被災者への支援なのだという。「具体的に、どういうご支援なんです?」と私は聞いた。被害を受けた子どもたちへの支援なのだと女性は言った。子どもたちへの支援というのは、つまりどういうことだろう。家を失ったのか家族を失ったのかわからないけれど、どちらにしてもかわいそうなことだ。

 かわいそうなことだが、私はあまり気が乗らなかった。この募金がちゃんと子どもたちのために使われるのかどうかが、私にはわからなかったし、何より金が惜しかった。

 

 たとえばこれがもし、この見知らぬ女性ではなく、コンビニに置いてあるような、募金主がはっきりしている募金箱とか…いや、もっと身近な、たとえば信用のおける友人などか私のところへ来て、被災地の子供を支援するから少しカンパしてくれと言われたら、そうしたら私は躊躇なくそれに応じたんだろうか。私はなんだか、それでもやはり同じように渋るような気がする。私は、口と頭では被災者の心配をしていながら、結局のところ本心では、かわいそうだとも助けてあげたいとも思っていないのかもしれない。しょせんはテレビの向こう側の出来事でしかないのだ。

 

 にもかかわらず、私は女性に500円を寄付した。私は500円玉貯金をしていたので、本当をいえば出したくなかったけれど、千円札を出す勇気はなかったし、かといって神社の賽銭じゃあるまいし100円玉を出すのも気が引けて、結局そうなった。女性は私にボランティア活動についての冊子をくれ、私は頑張ってくださいとかなんとか、お定まりの激励をして信号を渡った。

 本当のところ、被災地の子どもたちのことを想って寄付したのではなかった。私は、自分が人への思いやりをもたない、卑しくてけちな、冷たい現代人ではないと自分自身に示すために寄付をしたのであったように思う。それも女性にとっては、そして被災地の子どもたちにとってはどうでもいいことだろう。500円が募金されたことだけが重要なのだ。しかし私にとっては、500円という金額よりも、寄付という行いそのものが重要だった。これは私にとっての免罪符であった。私はこうして善行をすることで、私自身の中に人としての徳性を買い入れたのであった。

 

 

 先日、キーボードを濡らして故障させてしまったので、洗って乾かすあいだの代替品を買おうと思って電気屋へ出かけた際、また寄付を募る人を見かけた。なんの募金であるかはよく見なかったのでわからない。私は声をかけられる間もなく素通りした。金が惜しかったし、何より私はこの前500円を寄付したばかりだった。そうだ、わたしは金を持っているもの、富貴としての努めはすでに果たしているのだ。募金箱に見向きもしなくたって、私の人としての徳性は保たれているだろうから、もう見知らぬ人に金をやる必要はないのだ。

 ただの代替品だというのに、私はあれこれ見比べて結局4000円のキーボードを買い入れた。当初は1000円程度のものを考えていたのに。いや、代替品というけれど、今乾かしているものがちゃんと直るかどうか、実際のところわからないし、もし直らなければこれをそのまま使っていくことになるわけだから、あまり安物を買うのもどうだろう、一応ちゃんと、それなりのものを選んでおくのがよかろう……

 500円の寄付をあれほど渋る自分が、平気で3000円も余計な買い物をしている。私は3000円分の罪を犯したような気分がした。この一枚のキーボードと、3000円を6枚の500円玉にわけて、6つの募金箱に投じ、自分はいまやブッダの次に徳の高い人間であるに違いないと得意になるのとでは、どちらが価値のある行いであるといえるだろう。

 

 私は富貴だろうか、それとも500円ぽっちを渋る貧乏人だろうか。少なくとも、4000円のキーボードを買ってもただちに飢え死にしない程度の余裕はある。そして寄付とは、自身の余裕を、他の人に少し分けてあげるということだ。しかし、私はその余裕を自分のために使った。自分の金を自分のために使って何が悪いと開き直るのは簡単だが、ブッダの次に徳の高い人間ならきっとそんなことは言わないに違いない。

 そして、その余裕を分けてあげた浅草でもらった冊子を検索すると、やっぱりというか、本当かどうか知らないが、宗教だの、詐欺だの、とにかく悪い連中の募金だというような話がでてくる。あの女性は狂信者か、詐欺師のたぐいだったんだろうか。あの500円は、なにに使われるのだろう。被災地の子どもたちのところへは届いたのだろうか。そしてなにより、私の徳性は高まったといえるのだろうか。

 

 新しいキーボードはいまいち使いづらくて、あまりなじまない。やはり所詮は代替品、1000円のもので充分だったじゃないか。3000円を6枚の500円玉にわけて、500円玉貯金に回すのが正解だったと、これを打ちながら思っている。