シャフ

 アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シャフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」

 

 有名なAmazonのレビューに、登場人物のひとりである「アカ」のせりふが引用されている。あまりに気取りきっていて滑稽だとレビュアは批判している。その通りとも思うし、しかしまた小説の登場人物、それも村上春樹作品の登場人物ならそれほどおかしくはないという気もする。私はハルキストではないけれど、このせりふは好きだ。頭の先からつま先までしっかり気取っていて、ひとつのスタイルとしてキマっているという感じを受ける。村上作品そのものにそもそもそういう印象があり、全編の完全なキマり具合に酩酊するのがここでの作法であり、楽しみであり、人気の秘密のひとつであろうと想像した。レビューを読んで一年以上も経ってから、私は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。彼の作品を読むのは本当のところこれが初めてだった。

 シャフ。

 たぶんシェフのことだとわかる。これも気取った言葉づかいのうちだろうか。ラジオをレディオと言うようなものだろうか。初めて聞いたが、アカという気取ったキャラクタに使わせる気取った単語のひとつとしてはふさわしいように私には思えた。

 

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 シェフ、とアカは言った。「シェフと同じだ。肝心なところは……」私は読みながら、拍子抜けというか、肩透かしというか、とにかくなにかとても物足りなかった。あの全身くまなく気取っている村上作品の登場人物が、ただシェフのことをシェフと言っている。それだけのことが、私にはいささかショックでさえあった。『シャフ』はAmazonレビュアの誤字だったのだ。シャフ、とはこの世に存在しない語句であった。私は長いあいだ存在しない言葉の音感に惹かれ、作品のイメージを重ね、作者の作風をこの一語から感じていたのであった。

 

 アカは笑った。「嘘偽りはない。ありのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。

 

 シャフは未だに私の頭の中から出ていかずにいる。

 

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)