安楽死

 つまり、カナダで安楽死が合法化されたところ、一年で2000人近くがみずからの意思で命を絶っていて、キリスト教会はそれらの人びとの葬儀を行わないと言っているという話を聞き、選択の自由があってすばらしいと思うか、世も末だと思うか、他人のやることなので特になんとも思わないかに分かれるところで、私は特になんとも思えないほうであったが、自死に関するニュースを聞いていつも思い出すのは、いつか観た老人の孤独死についてのドキュメンタリ番組のことで、家族もなく、お金もなく、病気で、住むところもなくなり、ケア施設に一時保護されて、呼吸器だったか胃ろうだったか、機械のチューブにつながれていないと生きていられないような、人生のエピローグとしてこれ以下のものがあるだろうかと思わされる老人が、医師に今後の医療処置について聞かれている。次に意識不明の状態になったら、どうされますか?呼吸器を外すことに同意されますか?それとも、延命治療を望まれますか?戦前生まれらしい老人は、しわがれ震える声を絞り出して「命あるかぎり、延命で」と答える。

 目的も楽しみもない人生は無意味だというのが今の一般の認識で、だからそういうものが持てなくなった人の安楽死は認められるべきという流れがあり、しかし、と老人の言葉がいつも頭のなかにある。このやって来る毎日、それ以外のものが人生に存在するだろうか。

2017/10/17