42kg

 子どもを抱っこしたいという欲求がわりといつもある。

 赤ちゃんではなく、もう靴をはいてふつうに歩いて話せる子どもを、遊び疲れたのか拗ねているのか、お父さんが抱っこして歩いているのをときどき街で見かけて、いいなあと思う。なぜだか分からない。

 

 小さいころは(子どものころは、とは言わない。自分は今もあまり大人ではないと思うので)妹を抱っこするのが好きだった。兄らしいところを見せたかったのかもしれない。いっぽうで妹は昔から独立心があったのか抱っこをあまりされたがらなかったような記憶がある。単に自分の抱っこが不安定で下手だったせいかもしれない。ともかくそれくらいの頃から、人を抱き上げることになんとも言えない心地よさを感じていたと思う。

 

 アイマスに亜美と真美という双子の子がいてとてもかわいいんだけど、映像で動いているところを見ていて、抱っこしたいな~ってぼんやり感じることがこのごろ多くなった。中学生の親としてはまだ早くとも、子どもがいてもおかしくない歳になったからだろうと思う。同級生の友人に子どもが二人いて、いつか家に遊びに行ったときに会ってとてもかわいかったことを思い出す。帰りぎわに上の男の子に「抱っこしてあげようか?」と私は言った。本当のところ「ちょっと抱っこさせてくれませんか?」とお願いしたようなものだった。その子はシャイボーイで、友人の足の後ろに隠れてしまって、残念だったなと今も時々思う。足の後ろに抱きつかれる父親の、友人の姿がとてもうらやましかった。

 

 一人で生き、孤独に死ぬとまだ決まったわけではないけれど、このごろものすごい勢いでそういう方向に自分が進んでいるのが感じられるからこんなことを思うのかもしれない。犬や猫を飼うのが人びとに人気なのは、抱っこできる子どもの代用としてなのではないかという気がする。猫を飼っていて、その子の重みを腕や身体に感じることには興味のない人なんているだろうか。自分もこのごろ、犬を飼うのもいいかもしれないと思い始めている。

 

 亜美と真美を抱っこできたらきっと楽しいだろう。ふたりとも手足が長くて、自分の胸に収まりきらないかもしれない。初めは軽いものだと思うが、5分もすればだんだん腕と背中が辛くなってくるのが想像できる。世の親は想像するまでもなくよく知っていることだ。子育てをしない人間にこの大変さはわからないと言われてなにも言い返せないが、でもやはり、大変だといいながらその子の重さに密かな楽しみを感じているのではないかと無責任な想像をしてしまう。私にとっては架空の、想像上の重みを。