SA

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 「遅くなったね」
 午後11時を回っていた。プロデューサーは日付が変わる前に春香を家まで送りたかったが、ナビは午前の到着を予測していた。「眠っていていいよ」
 助手席に座る春香は、窓のほうに顔を向けて紺色をした夏夜の背景をオレンジ色の照明灯がノーツのように規則的に流れていくのを飽かず眺めていた。春香は車の窓から見えるそのふたつの色を愛していた。旅行の色だ、と春香は思った。
 年に何度かの家族旅行の帰り、父の運転するレガシィの助手席で春香はいつもオレンジ色の光を目で追っていた。眠っていていいよと父に言われても春香は眠ったことがなかった。自分が寝てしまったら、一人で運転するお父さんがかわいそうだと思っていた。後ろの席でぐうぐう寝ているお母さんは薄情だといつも思っていた。最後に家族で旅行したのっていつだったろう。地方での仕事の帰り、夜の高速道路をプロデューサーの運転で送ってもらうとき、春香はいつもそのことを思い出した。インストルメントパネルの光にぼんやり照らされて時計を気にしながら欠伸を抑えるプロデューサーの疲れた横顔を春香はそっと見た。パーキングを示すグリーンの標識が、視界の端に流れていく。
 「少し休憩しませんか?」ゆったりした静かな声色で春香は言った「私、のどが渇いちゃいました」

 夏の夜中のすばらしい空気が、クーラーで冷やされた身体と髪の毛をしっとりと温めていくのを感じるのが春香は好きだった。スゥと大きく息をして、あたたかな湿度といっしょに草木とガソリンの匂いを胸に取り込んでいく。夜のドライブの匂いがした。拡散された照明灯のオレンジがサーヴィスエリアの広い駐車場と白い建物を包み込み、周囲の青暗い闇夜から浮き上がらせていた。宇宙港のようだ、と春香は思った。水素燃料の補給を終えたらここから垂直離陸で飛び立って、天の川まで連れて行ってもらおう。途中で立ち寄る月のSAにはきっとうさぎを象ったお菓子が売られていて、私たちはそれをお土産に買い、車のなかで、プロデューサーは運転をしながら、私は窓の外を太陽がいくつも通り過ぎるのを眺めながら、一緒におしゃべりをして食べよう。やがて車窓は星々の白い光にあふれて昼間のように明るくなり……

 「のどが渇いたね」プロデューサーの声は春香の耳に遠く響いた。「少し休憩しようか」プロデューサーはそっと助手席の少女の横顔を見て薄く微笑む。少女はすやすやと眠っていた。いつだったか、自分はドライブ中に眠ったことがないんだと妙な自信をもって春香が話していたことをプロデューサーは思い出していた。残念だな、とプロデューサーは独り言のように呟いた。「夜のSAの空気はすばらしいんだが」 

 車は走行車線のままパーキングを通過していく。時刻は0時を回っていた。

 

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Distant Drive (w/ ConsciousThoughts) (Fresh Wax part 3) by Mr. Wax | Free Listening on SoundCloud

 

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カフェでバイトするアンチョビ

 私に敵がいるとすれば(いない)、私を、他者を支配し、コントロールし、自分の利益のために動かそうとする人で、そういう人の存在に触れると「何だこの野郎…」という気持ちがとめどなく湧いてくる。

 

  

 このアンチョビには、もちろんそういうものは感じない。独善的で、ちょっと人を小馬鹿にしてさえいるのに、むしろとても好印象を受ける。美少女だから?こういう人物はどんなコミュニティにおいても貴重で、いてくれるだけでみんなが安心して嬉しい気持ちになる。こういうのをカリスマ性というのだろうか。

 このかたはキャラクタ描写が本当にうまくて、チョビにからかわれてそれっぽい注文に変えるまほが素直でかわいいし、またそれを今度はさらりと流すチョビのからかいのさじ加減のうまさの描写が心地よい。そしてさらにいいのがそのあと、みほはオレンジパフェだと言っているのに勝手に注文を変えようとするチョビ。おすすめメニューというのでもなく単にお店の都合でそう言っているだけであるにもかかわらず、どうしてむしろ楽しいような、弾んだ気持ちにさせられるのだろう。アンチョビさんがそう言うならショートケーキでもいいかなとみほも思っているのかもしれない。

 これはコミュニケーションなのだとわかる。注文を聞くという作業、業務、定められたシステムではなく、楽しみのための言葉のやりとり。アンチョビはきっといつもそういう話しかたをするのだろう。1を入力すれば1とだけ表示される電卓のような会話を、彼女は会話とは呼ばないだろう。スキップして、ジャンプして、リズムをつけて、思いがけない横道を指さして、手を引いて、膝をカクンとやるような、そういうのが会話であり、コミュニケーションであることを彼女は心得ているし、身につけている。私はアンチョビのそういうところに(それが公式のものか二次創作によるものかは忘れた)惹かれ、穴山さんはこのイラストを気軽なふうにさっと描いたのかもしれないが、アンチョビのキャラクタがとてもよく描き表されていると感じて、ガルパンファンアートのなかでもずっと私のお気に入りだ。

 

 こういう人物になりたいといつも憧れている。ようは他者への思いやりのある人物ということなんだろうか。ドゥーチェ・アンチョビに、トニー・リップに、ポルコ・ロッソに、あるいは月並半兵衛のように。今気づいたけど3人イタリア系じゃん。イタリア人になりたいのかな私は。『小さな村の物語』とか好きだしな。

飲酒行為

 まえから強いほうではなかったけど、このごろますます弱くなった気がする。今は缶ビール一本でもうお腹いっぱいという感じ。

 

 呑むというのがどういうことなのか結局わからずにいる。水やコーヒーを飲むというのとは明らかに別の行為としてお酒を「呑む」という言葉がある。まず字も違う。

 言葉の向こうがわに自分の知らない、見たことも感じたこともない大人の行いが繰り広げられているのがなんとなく感じられるけど、それらには靄がかかっていてはっきりしたものはなにも見えない。大学生にでもなったら、大人になれば、食事ともお茶とも違うものとされるお酒を飲むという行為、呑みという言葉の意味するところが、自然と自分にも身についてくるのだろうと思っていた。いつかは自分も靄の中にいつのまにか加わっているのだろうと思っていたんだけれど、今になってもわからない。わからないまま、酒が飲めなくなりつつある。

 飲みに行こうと人を誘うひと。酒とつまみのためだけに店に入ろうと思うひと。酒と食事の区別をつけられるひと。みな大人だと思う。飲み会の席で、ビールと揚げものをつまみながらいつも思っていたのは「これを夕飯ということにするのは身体に悪いんじゃないかな…」ということばかりだった。酒を楽しむ素質がそもそもないのかもしれない。