control

眠ることと夢を見ることは今もなお、白い靄のかかった神秘や魔術の側の世界に属している。

『いま』がずっと続くことも、不可逆で劇的な変化が訪れることも、どちらをも恐れている。変化を恐れるのは、その変化はおおむね良いものではないと想像されるからだろう。病気か、災害か、あるいは勤務先の倒産による収入の途絶かも。いずれにしてもその変化は、自分が望まず、かつコントロールできないものだ。自身の状況をコントロールできないことはとても恐ろしい。戦争に巻き込まれることの恐ろしさも本当はそこにある。自身の人生を誰かに明け渡し、支配されることを受け入れなければならないことは、生きる上で最も恐ろしいことだ。誰もがそれを避けるために日々あくせく動き回ったり何かを言い立てたりして、この世のうちの自身のテリトリーを、つまり自分が支配者でいられる領域を広げようと躍起になっている。

 

これから自分はどうなりたいのか。社会と、つまり他者と、より関わりたいのか、もっと距離を置きたいのか、自分にもわからない。なるようにはなるだろうけれど、自分が意志の力を発揮すれば、よりどちらかに近づいていくこともできるだろう。意志の力。これまでにその力を行使したことが、いったい人生でどれだけわずかであったことか。雑草の生い茂る庭を見て、自然な状態で完成していると感じていかなる手入れも野暮であるように思う種類の人間にとっては、自分の人生をデザインするという考え方自体、神への不遜な挑戦のように思えた。

 

それでも、暖かくなれば部屋のストーブを片付けている。次の冬まで部屋の片隅に置いたままでも何も不都合はないのに、どうしてそうするのかと思う。いまを維持するための、あるいは同時に変化を呼び込もうとする儀式のつもりなのかもしれない。自分の暮らしを守り、支配するための。

 

52hertz

 

52hertz

 

 響が他者とのディスコミュニケーションを克服したのかどうかは作中でははっきりしない。他者に届かない声、孤独と相互不理解を象徴する52ヘルツというタイトルを思うと、ある種の障害として、あるいは響自身の一部として彼女の中に残ったままであるようにも受け取れる。その彼女が、千早を自身のもとへ受け入れる。

 自分の言葉が人に通じていなくても、それを自覚するのは難しい。一生その事に気が付かないまま言葉を発し続ける人もいる。言葉によるコミュニケーションの複雑さと曖昧さは海のように深く広く、際限がない。千早のような頭のいい子はだからかえってその曖昧さを嫌い、言葉を発することに慎重だ。

 

アイドルマスター2 Vinyl Words

アイドルマスター2 Vinyl Words - ニコニコ動画

「ビニールのような言葉」は話し手と聞き手のどちらから生まれているのか。

 

 響は自分の言葉が動物にも通じると信じている。それはきっと彼女の妄想に過ぎない。響は自分の言葉が、どんな相手にも自分の意図したとおりに伝わると信じている。それが本当ではないことを本当は知っているのに、それでもきっと信じている。それが彼女にとってのカンペキであるからだ。だから彼女は52ヘルツの言葉を発し続ける。発し続けることそのものが彼女のコミュニケーション手段だからだ。人にも、海にも、動物にも。

 そうして耳を澄ませる。千早の小さな声が聞こえる。

シモン

 『イエスの幼子時代』

 

 愛なく理性と規範のみによって営まれる街にただひとり心の通った人間として、つまりそこでは異端的な変人として右往左往するシモン。という体であるものの、読み進めるうちに自分もまたかなりノビージャのがわに近い人間ではないかと思うようになる。

 ダビードを特別学校へ連れ戻させまいと役人に抵抗するイネス。彼女の言いぶんは破綻していて、はたから見て、つまり理性的に見て、ダビードを学校へやるのが正しいように感じさせる。シモンも、理性の部分ではそう感じている。しかしシモンは役人の理屈ではなく、イネスのダビードに対する強い愛情に味方することを選ぶ。ダビードを守るために取り乱すイネスのすがたを見ても特に感じるところなく中立的立場を守るエウへニオに対して、シモンは彼を好人物であるはずなのに好きになれないと評する意味が、人の愛という観点で見るとだんだんわかってくる気がする。

 ただひとり愛を持つシモン。そしてダビードを通じて初めて愛というものに目覚めるイネス。ノビージャの多くの人々は空恐ろしいほど親切で、親身で、理性的。しかしそれは愛とは違うものだし、愛が示されるべき場面における理性的ふるまいの冷たさというものを意識させられる。言うまでもなく現代社会への風刺であり、人の愛を非合理的なものと軽んじる人々へのメッセージであると受け取れる。愛を貫くことはこれほど大変で、英雄的で、孤独なものなのかということも。