恋している人を近くで見たい

「誰かに恋をしている人」を今まで実際に一度も見たことがないことにふと気がつく。

文字で、絵で、映像で、音楽で、あらゆる創作で豊かに、人間の普遍的な営みとして恋は語られているから、自分もまた、恋は普遍的なものであり空気のように世間のどこにでもありふれているものだと自然と思い込んでいたけれど、そういえば、と思う。

誰かが誰かに恋をしている。その表情、視線、言葉遣い、ほかの人には向けられない特別な心遣い。

すべてフィクションで得た知見でしかない。そのような、人のプライムな状態に実際に立ち会ってみたいと急に思うようになった。恋している人を近くで見たい。

 

あるいはもちろん、自分がただ気が付かないで来ただけなのかもしれない。美しい恋は心に秘めるものだという(誰に聞いたの?)。毎日会っていたあの人や、アルバイト先のあの人も、日々何事もないような顔をして、ほんとうは誰かに強く惹かれ、焦がれる気持ちを心に抱いていたのかもしれない。熱い視線を送って、あるいは交わし合っていたのかもしれない。誰かと誰か。音も光も、赤い糸もなく、ただ感じ取るしかできない『恋』という現象が、ほんとうは人びとのあいだにありふれて起こっているのに、まるで気圧の変化を感じ取れない人間のように、人の何事にも気が付かなかっただけなのかもしれない。

 

それにあるいは、見たからどうということもないのかもしれない。人の心に生まれる恋という神聖な感情を、他者が好奇に見ていいものではないという気もする。尊いものほど直視は憚られるものだ。

それでも、やはり見たい。恋愛ソングも恋愛映画も、フィクションといえど現実がベースであるということを確認したいのかもしれない。戦争に似ていると思う。現実にあると知っているのに、出会ったことがない。恋は戦争だというし。

 

眼の前で起こる現実の戦争には興奮も感動もなく、死と苦しみと憎しみだけだろうと十分想像できるから、見られなくて結構だ。

でも、恋は見たい。誰かが誰かと話すとき、自分と話すときよりもほんの少し背筋が伸びていることに、いつか気が付いてみたい。