ラム

うる星やつら』 Episode5-B:君待てども…

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 あたるがラムの手をとり、もうちょっと一緒に歩こうよと誘う。

 ラムはかわいいし、やっと報われてよかったねとはじめは思ったけれど、果たしてこれは本当にいい話だったのかどうか、よくよく考えるといまいちよく分からない。

 

 あたるはラムの憂いを帯びた横顔を見て「こんなに可愛かったのか」と初めて気がついたように心のなかで言う。あたるは一貫して女を顔でしか見ていない。ラムが変装までしてあたるを恥から救ってくれた行為に対しては「借りを作っちまった」としか認識していない。ひ、ひどい……

 あたるは一貫して文字通りの恥知らずな人物だから、きっとあのまま賭けに負けたところで残念がりはしても恥ずかしいとは感じないのだろう。組野おとこはなにかの事情でたまたま来られなかっただけだ、と信じ続けたに違いない。

 あたるは自分と関わるあらゆる女は自分を好いてくれていると信じて、それを決して疑わない。女の顔以外の部分を、心や感情を一切見ない(あるいはその能力がない)から、かえって女性という存在を心の底から信じられるのかもしれない。

 

 だから、ラムのしたことはある意味で余計なお世話だ。あたるはラムになんの感謝も恩義も感じていない。ラムのまごころは本当は伝わっていて、それによってあたるは無意識にラムの手をとった、と解釈することはもちろんできるし、それがおそらく正しい解釈だと思う。

 でも、自分はどうも、あたるは本当にただ顔がかわいいと気付いたからラムの手をとったと見るほうが自然のように思えてならない。底の浅い男のありかたとしての自然さ、作劇的でない人物造形という意味で。

 そうだとすると、ラムは報われていないということになるのだろうか。それも違う気がする。ラムもまた、あたるが自分にまごころを向けてくれることを初めから期待していない。どういうわけかあたるを好きになって、だからあたるを自分のものにしようとする。そこにあたるの意思はない。自分勝手にしていることだ。

 

 そのラムが、初めてあたるを助けるために行動する。いつでもどこでも好き勝手に現れて、ダーリンはうちのだっちゃと言って憚らないはずのラムが、変装して、ほかの女の名前を名乗る。かわいそうな、バカなダーリンのために。

 このエピソードで心の変化があったのはあたるではなくラムのほうだったのではないか。

 

 ラムがどうして、あたるのために涙を流せるほどあたるを好きになったのか、もちろん誰にもわからない。ラムにもきっとわからないのだろう。好きになってから、自分はどうしてあんな男を好きなのだろうと悩むのは、恋というものの不思議と自然な順序のようだ。いつもあたるを振り回しているラムが、初めて自身の恋心に振り回される表現があの涙の意味なのかもしれない。

 

◇◇◇

 

 ところで、あたるはあのあと面堂から賭けの一万円を受け取ったのだろうか。いわばズルでの勝ちだから、なにかと理由をつけて受け取らないのが筋だと思うが、あたるは何食わぬ顔で受け取るような気がする。そういう厚かましさ、ズルを平気でやれるほうがあたるの神経の図太さらしい感じがするし、そういうことができる男という見かたをすればあたるの独特の魅力が見えてくる気がする。

 彼もまた、ルパン三世やルーカス・ジャクソンと同じ、自分にはおそらく決して真似のできない「今だけを生きる男」のひとりなのだ。面堂はそれができなかったからクラマをものにできなかった。

 過去も未来も、他者の心にもいっさい囚われず、自身の心の赴くままに生きられる人間は強く、迷惑で、魅力的だ。