幸福な暮らし

 所ジョージのテレビ番組をたまたま初めて観た。昔からやっている番組で、いまならTwitterでやるような世間話をだらだらするだけという内容だったけれど、彼のまったく肩肘を張らないたたずまいと話し方に妙な癒し効果がありおもしろかった。彼は幸福そうだ。

 その番組をまた観ようと思うのだけれど、決まった日時にテレビを見るという習慣を失って久しく、毎週忘れてしまう。

 

 子供のころから昼寝をほとんどしたことがない。のび太が暇を見つけては昼寝をするのを読みながら、それは空き地で野球をしたり、おやつが冷蔵庫ではなく戸棚にしまってあって、ネズミにかじられたりするのとおなじ、自分の暮らしとは違う生活文化の話だというふうに子供心に受け止めていた。

 それがこのごろ、休みの日に昼寝をする。昼寝をしたいというより、なんだか身体が疲れて、まだ昼間だけど寝る以外にないという感じで2,3時間も寝てしまう。まだ30代なのに……と、自分の体力の少なさが悲しくなってしまう。のび太の昼寝は自身の幸福のための積極的行動として描かれるけれど、自分は疲れに負けてのものだから寝ても覚めても気持ちが晴れないのだろうか。

 

 どのみち働けなくなった途端に路上で寝るしかなくなる水準の暮らしなら、フルタイムの勤務なんてしていても仕方がないなという気持ちがだんだんと心のなかを占めてきている。家の近くにコストコができるそうだから、会社を辞めてそこでアルバイトをしようかなとなかば本気で考えたりしている。午前中だけ働き、午後は家でギターを練習したり、外国語の勉強をしたり、庭の草むしりをしたり、猫をブラッシングしたりする。将来性ということを考えなければ、いい暮らしだと思うけどな。

 どんな暮らしをしていても、私たちはいつでも明日死ぬかもしれないということを忘れなければ、生きていけるだろうと思う。プライドとともに。幸福のうちに。枯れた考え方だと思わなくもない。