スタマスを待ちながら

 動かないということが、シャニマスにハマれないただひとつの理由だと思う。

 どれだけドラマチックな言葉のやりとり、物語の構成を見せられても、それらを演じる登場人物たちがただ画面の中央から動かないことで、それらの言葉は質量を、擬似的な質量を、本物らしさというべきものを発することをせずにただ流れてゆくように感ぜられた。

 それはもちろん、その質量を感じ取るプレイヤーとしての私の感受性の弱さの問題と言えるかもしれない。そういう問題は今は置いておいて、私の感じるところにおいて、画面の動かない物語を物語と認識することは困難だった。悪い言いかたをすれば、喋ってばかりで何もしない、怠惰な光景に似たものを見せられているような錯覚を起こさせた。会話の内容が濃密であるほど、むしろそうだった。

 画面がある、ということがむしろ物語への没入の妨げになっているかもしれないと感じている。これがはじめから文字だけのものであれば、違ったのかもしれない。

 

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 そもそもアイドルマスターに夢中になったのは単に画面が動いているからであったことをシャニマスを通じて私は初めて思い知った。それまで美少女ゲーム、ノベルゲームをまともにプレイしたことは一度もなかったし、それらとアイマスとの違いはキャラクターが動くかどうかという以外になかったと思うけれど、その違いは私が自分で思っているよりも大きなものだった。

 存在とは動きである、とカルロ・ロヴェッリという物理学者の本に書いてあった。キャラクタが踊り回り、画面の左から右へ、奥から手前に動くことで生まれる実在感の錯覚にこそはじめから私は心酔していた。画面を通じて伝えられる種類の物語においては、動くことこそが物語の核であり、またそうあるべきであるというのが私の感じかたであった。

 

 シャニマスの物語の緻密さへの執念はむしろ、私をアイマスに対する特別なコンテンツとしての信仰、実在感への夢から覚まし、無数の優れたフィクションのひとつとして認識を変えさせたと思う。それを私は幸福なこととして受け入れている。

見えない

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 彗星を見ようと思って川辺に行き、長い梅雨空の隙間の色が水色から黄色、黒い紺色に変わるまで眺めていた。地上の光があまりにも眩しい。グラウンド、モール、ごみ処理場、橋、国道、ヘッドライト。数キロも先にいるはずの自動車のヘッドライトの光がまるで射抜くように目に直接飛び込んできて、私は思わず顔を覆う。夜目に慣れてきた瞳がふたたび瞳孔を閉じたので、空の星はひとつも見えなくなった。低い雲が街明かりを受けてグレーにぼやけている。グレーは空全体を覆いつつある。

 天気予報を信じるかぎり雲がわずかでも切れる日は今日しかなかった。あの星を見るにはもう6000年生きるしかないらしい。

 星を見ることは科学というより瞑想に近い行いのように感じられる。

 2061年にハレー彗星が来る。私がそのころまで生きていて、十分な視力があり、星を眺めるような余裕の心を持てる生活を維持できているかどうかといえば、かなり怪しい。近ごろでは自身の明るい未来を想像することはどんどん難しくなっている。41年後の美しい夜、性能のいい天体望遠鏡を持ってひとり、明かりの少ないどこかでそれを覗き込んで彗星を見るのが今の私の夢だ。そのためには今から備えるしかない。

 星は去り、私は川辺に取り残される。意識をかすかにほうきで梳かれて。

焚火

 深い悲しみ、目の前で失われてゆくものへまだ行かないでほしいと懇願する抑えきれない強い気持ちがあり、それにも関わらず崩れ落ち、秩序を失い、無情に、ある種の力強さをも帯びて無へと帰ってゆくさまを見て、打ちのめされる痛みの向こうに、その人の手の及ばなさ、長い時間をかけて作り上げた価値あるものが実はほとんど空疎なものであったことを否応なく思い知らせる大きな力に対して、美しい、としかいいようのない感慨があふれてくることがある。

  首里城や、パリの寺院が火事になったとき、やはり滅びの美という言葉が飛び交った。その建物になんの愛も思い入れもない人間に、そんなものを感じられるはずがないと私は思った。彼らも、私も、焚火の火をきれいだなと感じるのと同じ目で燃え落ちる尖塔の映像を花火大会のように鑑賞していたに過ぎない。それは特別な、心の深いところから湧き上がる感慨としての美しいと感じる気持ちとはまったく別のものであることを、言葉のうわつらを撫でて悦に入る人びとのうちのどれだけが自覚していたんだろう。

  滅びの美学と誰かが名付けた瞬間に、その概念はファッションになったのだろう。私がこれを着こなす資格を持たないことは幸福、あるいは幸運であることの証だと思うべきかもしれない。

 

2020/5/27