死者の詩

 カラオケが非常に苦手だけれど、それは歌う言葉が自分のものではないからだろう。

 おれはこんな詩のようなことを…思ったことはあるかもしれないが、こんな言葉でそれを思ったことはない。これは自分の感覚でも思考でもない、他人の言葉だと感じながら、詩をリズムに乗せて口にするのは苦痛だ。不本意な嘘をつくのに似ている。

 

 他人の詩を口にすると、歌詞の向こうに、それを書いた人の存在を感じる。その人に遠くから見られているような気がする。その人の言葉を盗んでいるように、いつも錯覚する。

 

 死者の詩を歌うとき、しかしそういう感覚からはある程度解放される気がする。作曲者、作詞者がもうこの世にいない、誰のものでもなくなった歌、その歌詞。その歌詞は、もう書いた本人によって歌われることは決してない。遠くから見られる心配もない。そのことが、他者の言葉を盗み歌うことへのやましい気持ちを軽減させる。

 

 200年前のイタリア歌曲。50年前の歌謡曲。先週旅立った音楽家の曲。そういう歌を、まるで自分の言葉であるかのように歌う。だれのものでもなくなった言葉が、少しずつ自身のなかに馴染んでくるように錯覚する。

 こんな歌だったのかと、そのとき初めてわかる。