レディプレ

レディ・プレイヤー1

youtu.be

 

 レディプレイヤーワンという作品を前にして思うのは、つまるところ「自分はオタクなのか?」ということだ。スピルバーグが手招きして誘う「現実世界で生きづらい思いをしている」人びとに私ははたして含まれるのだろうか。この作品を私は観るべきなのだろうか。

 

 ゲームもアニメも好きだったが、現実を離れて(捨てて)この世界にだけ没頭していたいと思ったことはあまりないような気がする。生きた肉体を持つ人間である以上それは実際不可能だし、ゲームやアニメの世界が現実世界のように永遠のものであると自分に錯覚させられるほどには思い込みの強い性格ではなかったからかもしれない。両親の影響か、あるいは宮崎駿の影響かもしれない。どんなに好きな作品が現れて一時はのめり込んでも、自分自身の実際の人生を生きる土台は現実世界の上にあり、それこそ人格を電子化し肉体を捨てて云々という技術が生まれでもしない限り、それ以外ではありえないのだという認識がいつも頭の片隅にあったから、良くも悪くもブレーキが効いていた。さんざんハマったアイマスでさえ、そうだったと思う。

 だが、おかげで私は非常に中途半端な人間になってしまったという思いがある。オタク・コンテンツがわりと好きだがのめり込むほどではなく、かといって人並みに人間関係を築いて社会の中に居場所を得ていると自信を持って言えるわけでもない。どちらのコミュニティにも属している実感のない自分は、自分ははたして一体何者なのかしら……と、新世紀エヴァンゲリオン世代らしく自らのアイデンティティというものについていくつになっても答えが出ないまま年齢を重ね続けている。今の日本の世の中に一番多いのは、実はこういう人間なんじゃないだろうかと密かに疑っている。100パーセント「のめり込む」側の人間であるスピルバーグには、こういう人間の存在はきっとわかるまい。

 

 

 ガンダムも、ゴジラも、私にはピンとこない。金田バイクも。ヴァーチャル世界にのめり込む人間というそれ自体にも、羨ましさよりも嫌悪感や恐ろしさのようなものをより強く感じてしまう。現実への無関心、破綻した生活、まともな食事をせずやせ衰えた身体に巻きつけられた不釣り合いに重厚でチカチカと青や緑に光るサイバー機器。仮想現実中毒者につきまとうイメージは強固で、だから私はVtuberの動画も怖くて観られない。彼らは、YouTubeのそとにちゃんとした生活を持っているのだろうか。寝ても覚めてもYouTubeのことだけを考えて、毎日うわのそらで食事をしているのだろうか。暑さ寒さという以外にも、季節の変化を感じているだろうか。私の感じかたは時代遅れで、すごいスピードで世の中に置いていかれているだろうか。スピルバーグは、私のような人間にも答えを用意していてくれるだろうか。おそらくないだろう。これはヴァーチャルリアリティの快楽と可能性を肯定する作品だからだ。のめり込まない人間は、何者にもなれないのである。

 

 あるいは、GWに観に行って、帰りにそのままVRゴーグルを買いに走る自分の姿があるかもしれない。その時は笑ってほしい。

 

デイル

 デイルは空港に現れなかった。それはデイルが、他人のようになってしまった自分の娘を見て、ベランジェールとフランシスのことを想ったからだ。フランシスがパリへ戻り、ベランジェールのそばにいてくれることをデイルは望んだ。フランシスの献身的な思いやりに対して、彼は最後に自らの別れという形で友情を示したのだった。

 

ラウンド・ミッドナイト [DVD]

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シャフ

 アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。「シャフと同じだ。肝心なところはレシピには書かない」

 

 有名なAmazonのレビューに、登場人物のひとりである「アカ」のせりふが引用されている。あまりに気取りきっていて滑稽だとレビュアは批判している。その通りとも思うし、しかしまた小説の登場人物、それも村上春樹作品の登場人物ならそれほどおかしくはないという気もする。私はハルキストではないけれど、このせりふは好きだ。頭の先からつま先までしっかり気取っていて、ひとつのスタイルとしてキマっているという感じを受ける。村上作品そのものにそもそもそういう印象があり、全編の完全なキマり具合に酩酊するのがここでの作法であり、楽しみであり、人気の秘密のひとつであろうと想像した。レビューを読んで一年以上も経ってから、私は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。彼の作品を読むのは本当のところこれが初めてだった。

 シャフ。

 たぶんシェフのことだとわかる。これも気取った言葉づかいのうちだろうか。ラジオをレディオと言うようなものだろうか。初めて聞いたが、アカという気取ったキャラクタに使わせる気取った単語のひとつとしてはふさわしいように私には思えた。

 

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 シェフ、とアカは言った。「シェフと同じだ。肝心なところは……」私は読みながら、拍子抜けというか、肩透かしというか、とにかくなにかとても物足りなかった。あの全身くまなく気取っている村上作品の登場人物が、ただシェフのことをシェフと言っている。それだけのことが、私にはいささかショックでさえあった。『シャフ』はAmazonレビュアの誤字だったのだ。シャフ、とはこの世に存在しない語句であった。私は長いあいだ存在しない言葉の音感に惹かれ、作品のイメージを重ね、作者の作風をこの一語から感じていたのであった。

 

 アカは笑った。「嘘偽りはない。ありのままだ。しかしもちろんいちばん大事な部分は書かれていない。それはここの中にしかない」、アカは自分のこめかみを指先でとんとんと叩いた。

 

 シャフは未だに私の頭の中から出ていかずにいる。

 

 

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)